イクタケマコトのブログ

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抜粋

テーブルに 洋ナシひとつ皿ふたつ

 一見、非常に平板ななんでもないような句に見える。こういった日常吟、生活断片歌と呼ばれるものは少々受け入れられにくい。橘曙覧、正岡子規に倣って数多く作った斉藤茂吉の短歌でさえ当時「瑣末主義の代表として軽蔑せられるであらう」と言われたほどだった。理由は非常に単純で、書かれている句、歌、言葉があまりに分かり易すぎるからだろう。上の句も、5・7・5の形をなしているだけではないかと思うかもしれない。俵万智も「かんたんに出来ていいですね」とよく言われたと言っている。俵自身によると有名な「サラダ記念日」も元はサラダではなくカレー粉をつけたから揚げだった。それを短歌として練り上げた。山口誓子は句作の際、まず感動した物事(こと)を言葉にぶち込み、ふるいをかける。その作業を何度も繰り返して俳句を作ることと言っている。そして、陶芸家の濱田庄司の逸話が思い出される。彼が釉薬をさぁっとかけるのを見た誰かが「そんなに早いのですか」と聞いて、彼は次のように答えている。「(釉薬をかける時間の)15秒は、60年間を凝縮した15秒なんです。」まさに日常吟そのもの。言葉は分かり易いが、それは無数の言葉と人生から選ばれた17文字なのだ。

 さて上の句に戻ろう。テーブルに1つだけ洋ナシが置いてありそれを囲むように皿が二つある。直訳してしまうと、それだけだ。
 まず、皿は誰のものかと考えると、作者と妻(恋人)の分だ。それまでの一人暮らしでは丸かじりしていたのだろうか。テーブルはそこで活きてくる。もう少し考えると、男一人で洋ナシを買うだろうか? 普段あまり手に取らない洋ナシ、そのフォルムから女性が用意したものと考えるのが妥当だ。それを、皿に取り分けて食べる。つまり、1つのものを二人で共有する。生活をするということはそういうことだ。二人は、結婚して1,2年のまだ新婚と呼ばれる頃。新婚ホヤホヤの時は、今までの一人とは明らかに夕食や会話などに感動が向けられていたのだが、結婚生活が少し落ち着いて気持ちに余裕が出来たからこそ、ふと気付けた。その感動。

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