イクタケマコトのブログ

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似顔絵を描く時は本人を生で見るのが一番であるが、それが出来ない場合は写真を見る。写真を穴が開くほど見る。穴が開いたと描いたが、実際は1枚しか開いていない。それも見つめ続けたからではなく、プリントアウトした紙にデッサンをしていてである。もし、本当に見つめただけで穴が開いてしまったら、どうだっただろうか。おそらく驚いて描くのを止め、そちらの事を考える。ただ「なぜ開いたのか」というのは考えてはいけないように思う。絵を描いていて、僕自身、思いがけない線が描けることがある。それの理由はない。またおそらく未知なる現象は解析が出来ないから、未知なる力なのだろう。理由は考えない。考えるのは穴の開き方である。似顔絵を描く際、もっとも気になるのは眼である。つまり写真の眼の部分に穴が開いているのだと思う。それもまなこが、画鋲の悪戯みたいにではない。見ているのは眼の大きさや顔に対しての配置である。つまり穴が開くとすれば、眼の周囲が、一つ目小僧の目のような感じに大きく楕円形になるものだと思う。そして最も重要なのは、その開いた眼の部分がどこに行ったかである。パンチで穴を開けるように、その部分があれば問題は少なくてすむ。しかしながら、そのように開いた場合、圧力(穴の開く理由は分からないので仮に圧力としておく)は眼の周囲にだけかかっていることになり、ぼくの見方とは異なるのでありえない。最も圧力がかかるのは眼が中心である。そこから鉛筆で紙を突き刺すように開いたと考えてみた。が、この場合は「穴が開く」と表現しないだろう。「破れるほどに見た」というべきである。眼の周りがポッカリ開いたと考えた場合、圧力のかかり方としては、紙を火であぶったような、眼の周囲から広がっていくようなかかり方をするはずである。しかし、「燃える」という現象は、この行為と言葉の意味合いを考えるとどうも違うように思える。似た言葉に「刺すような視線」とあるが、その裏に冷たさがあることからも想像できよう。となると、その穴の開いた部分はどうなるのか。それは、私の一部となったと考えるのが妥当であろう。穴が開くほど見た結果、生まれるのが似顔絵である。開いた部分が私の記憶の一部になったと考えれば説明は付くのではないだろうか。とすると、先に書いた僕自身が描いた思いがけない線もこの影響ではないだろうか。意識することもなく見ていたものへ圧力が蓄積し、穴が開き、記憶になったのではないだろうか。よく絵が上手くなるには良い作品を見ることと言う。

しかしながら、これまでモナリザやピカソの作品に穴が開いたという事は聴いたことがない。そもそも今回開いたのも鉛筆だし、そのこと自体もこの文章を書くために作った嘘である。つまり、じっと見ても穴は開かない。そういう力は現存しないと思うのである。

こんな馬鹿なことを書いて仕事の穴を開けないようにしなくては(大爆笑 暗転)

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